花火

昨夜8月1日(日)、富山市神通川で恒例の花火大会が開催され、打ち上げ会場は老若男女たくさんの見物客で賑わったようだ。会場からだけでなく、自宅の窓や少し離れたところから眺めた人たちも多かっただろう。夏になるとイベントの1つとして、全国各地で花火大会が開催される。花火をあげる意味もイベントによって様々。富山市神通川に開催される花火大会は、昭和22年(1947年)からはじまったのだそうである。昭和20年(1945年)の8月2日は富山大空襲があった日。寝静まった午前0時頃からの爆撃。雨あられのように落ちてくる焼夷弾で多くの人々が命を落としたのだそうだ。富山の花火大会はその戦争で犠牲になった人たちの鎮魂と復興の願いを込めて始まったのだ。小さなころ、この季節になると、祖母が枕元で空襲の時の話をしてくれたものだ。祖母は、高岡市戸出(当時、西砺波郡戸出町)で住まいをしていたが、その日は、深夜に大きな爆音を轟かせながら、米軍の爆撃機B29が上空を過ぎたかと思うと、遠くの富山市の上空があっという間に真っ赤に染まったそうだ。その時の恐怖と悲惨さは幼い自分には理解できていなかったとは思うが、今でも祖母の話を覚えているのだから、伝え続けていくとの大切さは感じる。戦争を経験した語り部がどんどん少なくなり、伝える力も自ずと弱くなっていく。今も世界のどこかで大小様々な紛争が行われ、多くの人々が犠牲になっている。戦争の悲惨さを忘れさせないため、風化させないためにも、経験者にしか伝えることができない「迫真の言葉」を聴いておく必要があるかもしれませんね。

富山県庁や富山電気ビルは焼け残った建物。戦争の爪痕もほとんど感じさせることはないが、貴重な建物の1つとして存在している。今は、富山の街も美しく生まれ変わり、環境モデル都市てしてライトレールやセントラムといったカッコイイ電車が市内を走り、富山市が運営するレンタル自転車も利用されている。とても平和である。

このまま平和で住みやすい都市であり続けることを願って、今日は子供と小さな庭で花火でもしようかな。

専務取締役 大島秀紀

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