繋がりと広がり

お盆も過ぎ少しはこの暑さ和らぐのでしょうか?さて、この1週間は全国津々浦々で観光やら、里帰りやら、高速道路の渋滞やらでお騒ぎ。今年は過去最大のラッシュになるとの情報がありましたが、警戒したのか、たまたまうまく分散したのか、どんでもない渋滞にはならなかったようですね。一部では、渋滞なしでスイスイ首都圏へは入れたとか。某テレビ番組では、定かではないが渋滞予測を大々的に報道した結果、ギリギリでスケジュールを変更した人が多かったのではないかとの分析。なるほど、渋滞情報も心理戦?ですかね。これもある意味情報をタイミング良く流すことで、テレビと繋がっていた人に情報が一気に広がり、行動を起こしたというこなのだろう。うまく情報をコントロールすることは、とても難しい。誰に伝えて、どう広げていくかというのはどんな企業でも、個人の活動でも悩みの種だろう。伝えることが下手というのが広がらない1つの原因だと思うことがある。自分自身、ボキャブラリーもなく人をその気にさせるのが正直「くそ」が付くほど下手なのだ。上手に話そうとは思わないのだが、緊張したり、比喩が上手ではなかったりなど、その原因はいろいろある。そう思っていると、最近、池上彰氏著の「伝える力」が100万部を突破したと新聞で見た。やっぱり、みんな悩んでるんだな~。と思わず見ながらうなずいてしまった。本屋の立ち読みで、ほんのさわりだけ読んでみたが、伝えるのに一番重要なのは「自分がどれだけそのことについて理解しているかが大きな問題」というようなことが書かれていた。やはり、魅力的に伝えるには、知識を深めないといけないなのだ。広げようとするには、今自分が話す相手だけではなく、どうすれば次に伝えてもらえるだろうということも考えて、話をしなければいけないのであろう。それも詳しくわかり易くそして自分本意ではなく、相手の立場に立ってということ。そうなると、豊富な知識とわかり易さ、信頼される人柄や話し方というのも大事。もしかすると、自分の世代(40年代生まれ)もそうかもしれないが、小さな頃から地域との関わりが希薄な時代に育った若い世代も社会にでてきてる。対面して人と話すこと自体が苦手、コミュニケーションをとることが苦手という人も多いのかもしれない。今はインターネット社会でネットで繋がっている、ネットで広がるということも当たり前だが、もう一度、繋がり方・広げ方を見直すことも必要かも。対面して表情を読み、緊張しながらも自分の伝えたいことを伝える能力を身につけましょう。と自分に言い聞かせるのである。

さて、繋がりと広がり、10年ほど前、友人の結婚式の引き出物にあった額にこんな詩がかかれていた。お盆明けなので、ちと紹介。

<自分の番 いのちのバトン>

父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうしてかぞえていくと十代前で千二十四人 二十代前では…?なんと百万人を超すんです 過去無量のいのちのバトンを受けついで、いまここに自分の番を生きている それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです   みつお

繋がっていますね~。あとは自分なりにどう広げるかですね。

専務取締役 大島秀紀

花火

昨夜8月1日(日)、富山市神通川で恒例の花火大会が開催され、打ち上げ会場は老若男女たくさんの見物客で賑わったようだ。会場からだけでなく、自宅の窓や少し離れたところから眺めた人たちも多かっただろう。夏になるとイベントの1つとして、全国各地で花火大会が開催される。花火をあげる意味もイベントによって様々。富山市神通川に開催される花火大会は、昭和22年(1947年)からはじまったのだそうである。昭和20年(1945年)の8月2日は富山大空襲があった日。寝静まった午前0時頃からの爆撃。雨あられのように落ちてくる焼夷弾で多くの人々が命を落としたのだそうだ。富山の花火大会はその戦争で犠牲になった人たちの鎮魂と復興の願いを込めて始まったのだ。小さなころ、この季節になると、祖母が枕元で空襲の時の話をしてくれたものだ。祖母は、高岡市戸出(当時、西砺波郡戸出町)で住まいをしていたが、その日は、深夜に大きな爆音を轟かせながら、米軍の爆撃機B29が上空を過ぎたかと思うと、遠くの富山市の上空があっという間に真っ赤に染まったそうだ。その時の恐怖と悲惨さは幼い自分には理解できていなかったとは思うが、今でも祖母の話を覚えているのだから、伝え続けていくとの大切さは感じる。戦争を経験した語り部がどんどん少なくなり、伝える力も自ずと弱くなっていく。今も世界のどこかで大小様々な紛争が行われ、多くの人々が犠牲になっている。戦争の悲惨さを忘れさせないため、風化させないためにも、経験者にしか伝えることができない「迫真の言葉」を聴いておく必要があるかもしれませんね。

富山県庁や富山電気ビルは焼け残った建物。戦争の爪痕もほとんど感じさせることはないが、貴重な建物の1つとして存在している。今は、富山の街も美しく生まれ変わり、環境モデル都市てしてライトレールやセントラムといったカッコイイ電車が市内を走り、富山市が運営するレンタル自転車も利用されている。とても平和である。

このまま平和で住みやすい都市であり続けることを願って、今日は子供と小さな庭で花火でもしようかな。

専務取締役 大島秀紀