IN KOBE×2

仕事とプライベートで急遽1週間のうちに2度も神戸へ訪れる機会があった、どちらも神戸の夜景やイルミネーションすら見れない弾丸日帰りスケジュールで慌ただしい感じではあったが、とても有意義な時間だった。1995年(平成7年)1月17日に起こった阪神淡路大震災は鮮明に多くの日本人の記憶にとどまっていることだろう。その時に縁あってたった1日であったが、富山県高岡市が派遣した炊き出し隊としてボランティア参加。高岡市が毎年冬に開催する鍋まつりで使用する高岡銅器製の大なべをもって、学校のグランドで鍋をふるまったのを覚えている。震災から確か約1ヶ月程度経過してからであったせいもあり、現地は少し落ち着きを取り戻していた雰囲気はあったが、グランドの外へ出て住宅街を見るとほとんどが倒壊し、車はぺちゃんこ、地震に伴って起こった火災の痕に災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、その光景が今でも脳裏に焼き付いている。ただ、少し気持ち的に救われたのはグランド内に車をおき、その中で一家数名が生活し、そういった状況でも生きるために前を向き一生懸命頑張っている姿を見ることができたからかもしれない。そういう意味では人の強さも感じることができた貴重な経験だったと思っている。どんなことがあっても諦めない!ということは人を強くさせるのかもしれませんね。仕事でお伺いした企業の社長のお話では、震災によって20年~30年分の潜在的な住宅需要が一瞬にして消えてしまったという。それから短期間に復興した神戸では、震災によって倒壊した住宅の多くの建て替えが大手住宅メーカーによって一気に進められた為らしい。地元の工務店や住宅会社にとっては、震災は大きな経済の災害でもあったということになる。昨年秋のリーマンショックは震災といえるくらい、経済の大震災。大手では少し持ち直しといったニュースが時折流れるが、地方の中小企業にはまだまだその実感がわかない。強烈なストレートの後に、どこから出てくるのかわからないジャブが的確にミートしているような。見えない敵にまどわされないように動体視力を鍛えなければ。ボクシングジムにでも通えば、精神的にも肉体的にもタフになれるかな。軽量級のボクシング選手のように「蝶のように舞い、蜂のように刺す。」美しい立ち居振る舞いとフットワーク、瞬発的な攻撃力がこれからは必要かもしれません。

専務取締役 大島秀紀

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